僕ら小さな弁当業にとって一番大事なこと。
それは、他でもならぬ「おいしいものを食べてもらいたい」という想いだと思っています。
なぜなら、便利になった昨今、大手のコンビニや弁当屋が大量生産による「お腹を満たすお弁当」を提供してくれているわけですから。
ただ単にお腹を満たすだけのお弁当屋であるならば、僕ら小さな弁当屋が存在する意味などなくなってしまうわけです。
大手企業ではない、僕らのような小さな弁当屋がこの地域社会の中で存在する意味は、ただ「お腹を満たす弁当」を提供するのではなく、「心を満たすお弁当」を提供することだからです。
「価格(給食弁当の相場)ありきの弁当を作るのはやめようや」
「とにかく弁当で楽しませてあげようや」
もちろん、それなりに商売の経験を積んできたからこそ分かることもあります。
ただ良いもの・ただ良いサービスだからといって事業として成り立つわけではないということも。
弁当屋という事業体を経営するわけですから、最低限の経営数字の理解は必要です。
一方で、僕らのような小さな商いをしている者が持つべきものも同時に学びました。
それは、「想い」です。

特に、僕ら町の食べもの商売は、いくらAIやその他システム機器が発達しようとも、労働集約型から抜けることは中々難しい部分があるわけで。
それでも続けられるのは、時折お客さんからいただく「美味しかったよ」「いつも美味しい弁当をありがとう」の一言であり。
そのひと言があるからこそ、「また明日も美味しいものを作ろう」と思えるわけです。
というよりも、そう思えなければ食べもの商売なんてやめたほうがいい。
そのことを忘れてしまうと、僕らのような小さな弁当屋がこの地域社会に存在する意味などなくなってしまうわけです。
楽をしたいという気持ちはたしかに出てきます。
ただ、そこは怠けて弁当の内容を劣化させるのではなく、頭を使って仕組化することでクオリティを落とさない道を目指すべきで。
「地域の弁当屋として必要とされる存在になる。」
ようやく方向が定まりつつあります。
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