「仕事とは何か?」明確になってから変化したこと

コラム

現代の世の中では、「仕事」と言えば経済活動つまり収入を得ることそれ一点のみをもって「仕事」と認識されている方が多いかと思われます。

「仕事」=「稼ぎ」

といった感覚ですね。

でも実は、その考え方といいますか、「仕事=収入を得る活動」といった認識はかなり危険であり。

その考え方を改めなければ、一人の人間としての幸福度において損をしてしまう確率がものすごく高まってしまう危険性をはらんでいるということに気づいたのです。

今回はえらそうながら「仕事」というものについて述べさせたいただきますが。

当時のわたくしと同じように、日々の生活に充実感を持たれていない方にとって、なにかしら考えるきっかけになればと思います。

家事の一切は嫁さんに任せきり

わたくし自身も数年前、おにぎり屋(2011年8月~2017年7月まで営んでいました)をやめた頃ですね。

おにぎり屋を営んでいた6年間

それまでは、「仕事」といえば「稼ぎ」とだけ認識していたこともあり。(※この「仕事」の考え方については、また日を改めてお伝えしたいと思います)

朝はまだ子供が寝ている時間帯から仕事に出かけては、夜は子供・嫁さんが寝静まっている頃に帰宅して。といった生活をずっと続けていました。

当時はとにかく毎日が不安で、日々の生活の充実感みたいなものはあまり感じていませんでした。

とにかく、

「仕事(=収入を得る活動)をすることが善だ!」

といった感覚で毎日仕事にばかり精を出し、朝から晩まで働いていたわけです。

家事の一切は嫁さんに任せっきり。子育てに関してもほとんどノータッチ。自分はとにかく外に出て「仕事(=収入を得る活動)」をする。

たまに家族で遊びに出かけることはありましたが、それも本当にたまに。

その結果、当たり前のように奥さんとの心の距離は離れていき、子供たちとの心の距離もどんどん離れていくような感じがしていました。

当時子供たちと一緒に撮った写真を見返してみてもそれは明らかです。

「一緒に住んでいる人」

子供たちからしてみれば、そのような認識だったのかもしれません。ただ、当時から

「仕事一辺倒の人生で本当にいいのかどうか」

「家庭と仕事をバランスよくなどと考えるのは大人としてやっぱり半人前なのか。甘い考え方なのか。」

※上記の仕事は「仕事=収入を得る活動」

といった葛藤も同時にあり、自分の中で日々違和感を感じていたのです。

そのときからだったと思います。

「幸せとは何か?」

自分自身に目を向け、そう考えはじめたのは。

そうして出会った一つの考え方。それが、今現在でもわたくし自身の仕事観となっている「江戸時代を生きた人々の仕事観」だったのです。

当時の人たちの仕事観、それは現代に生きる人たちとの仕事観とは全く異なります。いや、仕事に対する認識が違うといった方が的を得ているかもしれません。

もちろん実際本当にそのような考え方だったかの真偽の程は分かりませんが、わたくしにはその考え方が上手くハマってしまったわけです。

少なくなったものと増えたもの

「江戸時代に生きた人々の仕事観」を知ってからは、目からうろこではありませんが、当時日々の生活で感じていたいら立ちが少しづつ解消されていったのを今でも覚えています。

「家庭(暮らし)と仕事(=稼ぎ)を両立してもいいんや」

もっと言えば、

「家庭(暮らし)と仕事(=稼ぎ)を両立するだけではまだ半人前なんや」

「コミュニティ(務め)にも貢献することで、やっと一人前の大人になるんや」

それまでの自分がいかに社会に属する者として半人前であったか。家庭を持つ者としていかに半人前であったか、ものすごく考えさせられるものがありました。

そのときから、わたくしの生活スタイルは大きく変わっていくことになります。

そして、間違いなく日々のネガティブストレスは少なくなっていきました。

逆に増えたものは何か。

それはポジティブストレスです。

「江戸時代に生きた人々の仕事観」を実践することにシフトしたことで、良い意味で戦略的にならずにはいられなくなったからです。

価値観なんてそれぞれに違う

当たり前ですが、その人それぞれに価値観は異なります。

家庭と仕事(=収入を得る活動)を両立したいと考える人もいれば、家庭よりも仕事(=収入を得る活動)に重きを置きたいといった方まで様々な方がいらっしゃると思います。

「世界中を飛び回ってプロジェクト(仕事=稼ぎ)をこなしているすごいパパ(会えるのは月に一回程)」になりたい人はいるだろうし、それはそれで価値観の違いなので否定することなんてできないし、純粋に素晴らしいことだと思います。

当時のわたくしはというと、そんなすごいパパになりたいとは思ってなかった(なれるような人間でもなかった)し、どちらかというと出来るだけ子供が小さい時分は一緒に過ごせる時間を多くとりたいと思っていました。

自分自身が小さい時分に、「もっと家族で一緒に遊びたい」といった気持ちを持っていたからかもしれません。

もちろん、世界各地を飛び回ってプロジェクトをこなしていく働き方に憧れていないわけではありません。

ただ、そういった仕事をするのは、ある程度子供が大きくなってからでも遅くはないし。

昔と違ってテクノロジーも進歩して物理的にその地に行かなくてもやり方次第(オンライン化)で仕事をすることだって可能だし。

子供たちに対して自分の手が掛からなくなった時に、そのような各地に足を運ぶ働き方に比重を移すことだって出来る。

それよりなにより、仕事(=収入を得る活動)だけではなく。もっと地域の活動に参加して、自分の子供含め地域の子供たちと交流を持ちたい。

自分が子供だった時分に、近所のおじちゃんおばちゃんが世話をしてくれたあのときのように・・・。

それが当時のわたくしの価値観だったのです。

人間としての充実感

現代では、日々の生活に疑問を抱きながら日々「仕事=収入を得る活動」だけに精を出している方は多いと思います。

というよりも、「仕事」というものについてそこまで深く考えている方が少ないのかもしれません。

もちろん、その多くの方がわたくしと同じような価値観であるはずもないので、人によってはこの「江戸時代を生きた人々の仕事観」が合わない方もいると思います。

ただ、忘れてほしくないのは、「仕事=収入を得る活動」それだけに傾倒してしまっては、日々の生活の中で人間としての充実感を手に入れられる可能性は低いのでは?というひとつの問いかけです。

その問いに対し、はっきりと

「そんなことないよ。私(俺)は仕事(収入を得る活動)だけしていればめちゃくちゃ幸せだよ」

と答えられない場合、何かしら日々の生活を見直す時期に差し掛かっているのではと思われます。

わたくし自身、その問いかけに対しハッキリと答えられなかったことが人生の転機になったからです。

当たり前ですが、わたくしたちは生身の人間です。

そのことを理解したうえで、もっと人間としての自分の声に耳を傾けてみることも大切なことなのでは。偉そうながらそのように思います。

わたくし自身、今でこそ「仕事は収入を得る活動」だけではないと認識できているからこそ、それを知る前の自分より確実に幸せを感じる機会は多いですが。

もし、今だにその認識が出来ていなかったとしたら、一体どんな人生を送っていたのか・・・。

間違いなく、今こうして弁当屋をやっていることはなかったと言い切ることができます。

だって毎日3時起きですもの(笑)

以上、今回はえらそうながら「仕事」というものについて述べさせてもらいましたが。

ただの弁当屋の戯言だと思って軽く聞き流していただければ幸いに思います。

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