当ブログを読んでいただき誠にありがとうございます。
このブログの運営者であり、ことぶき屋の責任者である清水と申します。
ことぶき屋とは・・・愛媛県松山市の事業所(会社・事業所・病院等)で働く方々に日替わり弁当を毎日お届けする弁当屋です。※今年で創業20年目を迎えます
当ブログは、当店で働いてくださるスタッフ・当店のサービスを利用してくださっている方・当店と取引してくださっている業者の方々に対し、「考え方を共有できたらな~」という気持ちで書いております。
なにかと慌ただしいこのご時世、面と向かってお話しできる時間を確保するのは難しい。そのようななかでも、当店に興味を持ってくださった方に少しでも店主の考え方をお伝えしたい。
当ブログはそのために存在しております。もちろん、当店のサービスを知っていただくためにも。
自己紹介
清水(しみず)
1984年4月生まれ、愛媛県松山市出身。
おにぎり屋を6年間営んだ末に廃業。実質的には倒産みたいなものです(泣)
廃業当時には多大なる迷惑をお掛けしてしまいました(いろんな方に助けていただきました)が。その経験を経て、わたくしの人生観は180℃変わりました。
現在は、自身のそれまでの生き方を見直(再構築)し、日々ことぶき屋の経営に励みながら、家事・子育て・ものづくり(DIY)など、自らの人間的欲求に正直に向き合っております。
さて、このプロフィールをご覧くださったのもなにかの縁、時間がある方はもう少しばかりお付き合いください。↓
時間とお金の関係
21歳のときに家族で会社(ことぶき屋)を興し、27歳のときには独立しておにぎり屋をOPEN。その後33歳の時におにぎり屋を廃業。
その間、わたくしの睡眠時間は平均して一日4時間から5時間。
毎朝4時ごろに起きては会社・お店に出勤して朝の早いうちから働いて。まるまる一日休みの日なんて正月を除けば皆無でした。
長男・次男が生まれてからも同じように休みなしで朝から晩まで働く。
家事の一切は嫁さんに任せきりで家に帰ってもパソコンをカチカチ。ビジネス本を読み読み。最低限の身の回りのこと(自分ごと)を済ませる以外はほとんど会社やお店のことを考える日々。
しかも、独立する前はそれなりに収入はあったけれど、独立してからはほとんど雀の涙程度。今振り返ると笑い話ではあるけれど、思えば何のために生きていたのか、たまに当時のことを思い出すとゾッとするときもあります。









でもあるとき気づいたんです。人間は必ず死ぬんだよなって。生まれたその瞬間から死ぬまでのカウントダウンが始まる。
どんな人生を送ろうが、寿命が80歳なら700,800時間、100歳なら876,000時間、一定の時間を経過すれば必ず土に還る日が来る。実に当たり前な事なのに、その事実をはっきりと明確に意識したのがおにぎり屋を潰した翌年の34歳のときでした。
今まで何やってたんだろうって。大義とか志とかいったものも持ち合わせていないのに、たいして儲けもしないことに20代という貴重な時間を使い。
長男・次男の晴れ舞台や幼い時分にしか見ることが出来ない成長の過程、嫁さんと顔を向きあわせ他愛もないことを言い合う何気ない時間。それらを犠牲にしてただただ働くことに時間を費やす。
何度思い返しても、何度後悔しても、あのときの時間が戻ることはない。一度経過した時間が戻ることはない。
多くの者は時間より金銭を大事にするが、その金銭を得るために失われた時間は金銭で買うことは出来ない
例えば、子供が小さい時分に一緒にいてあげたい。一緒にいて色んなことを教えてあげたい。言葉の使い方や礼儀、お金とは何か、夢や目的とどう向き合うか、自分以外の人とのつながり方、社会とはどのようなものか、そういったことだけでなく愛情を育むことも・・・。
そう思いながらも、それら一緒にいる時間を犠牲にしてただただ日々働くだけだとしたら。
いつも家にいることがなく、一緒にいることがなく、ただただ外で働くことだけに時間を費やしたとしたら。
その結果、子供が成人したとき社会との向き合い方が全く分からない状態で育ってしまったとしたら。
あー、あのときもっと隣にいて色んなことを教えてあげていれば。そう後悔したとしても。
「あのとき働いて蓄えた1,000万円がここにあります。この1,000万円を差し上げるのであのときの時間を僕に返してください。」
そうすることはできない。
それがたとえ1億円でも2億円でも。過去に過ぎ去ってしまった時間はお金で買うことが出来ない。
その当たり前の事実を明確に意識してから、わたくしの人生観は変わっていきました。当然、働くことに対する意識も変わっていきました。
子供と真剣に向き合うことで生まれる疑問
「お父さん大好き」
そのころですね、一番下の娘から言われたそのひと言は。あのとき気づいたわたくしの生き方が、もしかしたらよい方向に向かっているのかもしれない。そう感じられるひと言でした。



何だろう。生きててよかった。
違うなー。
生まれてきてくれてありがとう。
ただただ純粋にそう感じたのです。




働くって何なんだろう・・・
幸せって何なんだろう・・・
生きるって何なんだろう・・・
その日を境に頭の中を駆け巡る疑問。子供と真剣に向き合うことで生まれる純粋な疑問。
ともすれば、
「何言ってんだあなたは?」
と一蹴されてしまうような、なかなか自分以外の人には言えないような疑問だけれど。そのころから、常にそのような疑問がわたくしの頭のなかに存在するようになっていったのです。
人間としての生きる幸せ
そして現在。特にこれからは機械労働力(AI)との共存社会が到来します。
テクノロジーの進歩、そして合理的精神のもとに推し進められてきた結果として。今までのようにたくさんの人間労働力は必要なくなる日が来ています。
そのような社会になれば、今よりもいっそう「生身の人間としての生きる幸せ」を考えざるを得なくなる。否が応でも「人間としての幸せ」を問わざるを得なくなる。もうそれは本当に近くまで来ているように感じます。
そんな時代が到来しようとしているなか、利益追求を是とするビジネスでもないプライベートなことに対しても。
「無駄無駄」
「効率化効率化」
「合理化合理化」
自分自身の価値基準も明確でないのに、そんなことばかり言っていたら人生はあっという間に終わってしまう。いや、仮にそうだとしたら、もういっそのこと自分自身が存在しない方が一番合理的な判断かもしれません。
「どうせ○ぬんだから早い方がいい」
突き詰めると、そういうことです。
だからこそわたくしは声を上げたい。
「自分だからこそできることをしていかなければならないのでは」
だからこそ。そのときその瞬間、自分が楽しいと感じてやっていることを、誰か自分以外の人に「無駄だ価値がない意味がない」と言われようとも。それをやっていることで自分が
「あぁー、幸せだなぁ」
そう感じるのならば、それをやり続けたほうがいいのではと。
そのとき自分がやっていて楽しいと感じること。それらに無理やり蓋をして毎日毎日毎日、本当に嫌で嫌で堪らないことをすることで精神的に参ってしまうくらいなら、いっそのことそれら嫌なことをすべて手放して。
自分が好きなこと、そのときその瞬間やっていて楽しいと感じることをとことん突き詰めてみることは大切なことなんだと。
もちろん、好きなことをする過程で嫌なこともやる必要が出てくる場合もあるわけですが。それらをひっくるめて、そのときその瞬間に好きなことを突き詰めることは大切なことなんだと。そう思うのです。
本当は、そうした人を見かけたときに、周りが世間一般的な常識(今までは良しとされてきた価値観)を振りかざすのではなく。
そういった人を相互にサポートしあえる世の中(もちろん健全な競争はあってしかるべき)になれば、もっと世の中に人の笑顔が溢れるような気がします。自ずと経済も活性化していくのでは・・・。
そのような考え方がわたくしの活動の根源であり、当ブログの運営・ことぶき屋の経営に関してもその気持ちは同じです。
人間として生まれてきた目的、それはあくまでも人生を豊かにすることであり。その目的を達成する方法は、とにかく人間(自分)にしか出来ないことを突き詰めること。そう信じています。