小さな弁当業にとって一番重要なこと

最近のことぶき屋のお弁当は、手作りの玉子焼きを入れてみたりバランを敷いてみたりと。

一か月ほど前から料理長にはっぱをかけては、「おいしいお弁当づくりの原点に返ること」を意識させています。

「させている」と言えるのは、実の兄弟(兄貴)だからであり、家族だからこそ。気づいてほしいからこそです。乱暴な言い方かもしれませんがお許しください。

というのも、僕ら小さな弁当業にとって一番大事なことが、他でもならぬ「おいしいものを食べてもらいたい」という想いだからです。

そのような想いを持っていなければ、便利になった昨今、大手のコンビニや弁当屋が大量生産による「お腹を満たすお弁当」を提供してくれているわけですから。僕ら小さな弁当屋が存在する意味がなくなってしまうわけです。

大手企業ではない、僕らのような小さな弁当屋がこの地域社会の中で存在する意味は、ただ「お腹を満たす弁当」を提供するのではなく、「心を満たすお弁当」を提供することだからです。

「価格(給食弁当の相場)ありきの弁当を作るのはやめようや」

「とにかく弁当で楽しませてあげようや」

「おれも手伝うから」

もちろん、それなりに商売の経験を積んできたからこそ分かることもあります。ただ良いもの・ただ良いサービスだからといって事業として成り立つわけではないということも。

ただ一方で、僕らのような小さな商いをしている者が持つべきものも同時に学びました。

それは、「想い」です。

バカにされるかもしれませんが、僕は本気でそう信じています。

特に、僕ら町の食べもの商売は、いくらAIやその他システム機器が発達しようとも、労働集約型から抜けることは中々難しい部分があるわけで。

それでも続けられるのは、時折お客さんからいただく「美味しかったよ」「いつも美味しい弁当をありがとう」の一言であり。

そのひと言があるからこそ、「また明日も美味しいものを作ろう」と思えるわけです。

というよりも、そう思えなければ食べもの商売なんてやめたほうがいい。

そのことを忘れて、ただ自分が楽をしたいという理由で安易な道に走ってしまうと。僕らのような小さな弁当屋がこの地域社会に存在する意味などなくなってしまうわけです。

楽をしたいという気持ちは分かります。

ただ、それは怠けて劣化させることではなく、頭を使って仕組化することでクオリティを落とさない道を目指すべきで。

「地域の弁当屋として必要とされる存在になろうや。」

「俺はまだまだ言い続けるからな!」

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